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自立型姿勢
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「思い」の7段階
MENU 目次 1章 「思い」と経営 2章 「思い」の特徴 3章「思い」のコントロール
2章「思い」の特徴
  • 【「思い」の自己診断】
  • 「思い」の七段階レベル
  • 「思い」の五ステップ
  • 二つの「思い」
  • 【「思い」の自己診断】

    あなたのやってみたいことを一つ思い浮かべてみてください。それを達成したいという「思い」は以下のどのレベルにありますか。できるだけ素直に答えてください。以下の順に読んで少しでもうなずける部分が出てきたら、そこがあなたの「思い」のレベルになります。

    (1) ●やりたいとは思うが自分でやるのは面倒なので、できれば誰かにやってほしい
    ●自分にはできそうもないことなので、できなくても仕方がない
    ●面倒なことなので、いつかできそうな気がしたら始めよう
    ●やってみたいと思うが、どうせうまくいかないのではないかと思うとやる気がしない
    (2) ●楽にできることならばやりたい
    ●確実な方法がわかり、それほど努力しなくてもすみそうならやりたい
    ●誰かやる人がいれば、自分もその人と一緒にやってみたい
    ●空き時間をうまく使ってやってみたい
    (3) ●こうすれば必ずうまくいくという方法があれば、多少努力してもやってみたい
    ●まわりも理解してくれて、アドバイスやサポートがあれば自分も努力してやってみたい
    (4) ●確実な方法がわからなくても、今、できることから取り組んでいきたい
    ●まわりからのアドバイスやサポートがなくてもやってみたい
    ●努力することは惜しまない
    (5) ●たとえ捨てるものがあったとしても、やってみたい
    ●多少のプレッシャーがあっても、負けないで何とかやり遂げたい
    ●たとえ休日や給与が減っても、それ以上にやる価値はあると感じる
    (6) ●いざとなればすべてを捨ててもやってみたい
    ●とてもできそうにないと感じることであってもやり遂げてみたい
    ●達成のためにはどんなプレッシャーにも負けない
    (7) ●命を賭けてもやり遂げてみたい
    ●不可能であるかどうかは関係ない
    ●どんな障害や問題に出合おうとも、やりたいという気持ちに変化は起きない
    ●自分はどうなってもかまわない
    それでは、それぞれのレベルでどの程度のことを成し遂げることができるかを解説してみよう。
    (1) ●何も変わらない  
    ●欲求不満が増えるだけ
    (2) ●コピーがとれる
    ●趣味を増やすことができる
    ●仕事に関することはできない
    (3) ●資格をとることができる
    ●パソコンをマスターすることができる
    ●経営資源や材料が揃っていれば達成できる
    ●電話対応など基本的な仕事であればできる
    (4) ●一つの仕事を仕上げることができる
    ●売上をあげることができる
    ●必要なものを自分の力で揃えられる 
    ●自分一人でできる範囲のことならば可能
    ●このレベルまでは共感者は現れない
    (5) ●一つのプロジェクトを成功させることができる
    ●売上を伸ばすことができる
    ●共感してくれる人が現れる
    ●必要なものの一部をまわりが提供してくれる
    ●自分一人ではできないことも一部可能となる
    (6) ●組織、会社、業界を変えることができる
    ●売上を大きく伸ばすことができる
    ●多くの共感者をつくる
    ●必要なものがどんどん揃う
    ●やりたいと思ったことのほとんどが達成可能
    (7) ●社会、国家、歴史を変えることができる
    ●あらゆることが可能となり、不可能はなくなる
    ●出会う人はみな共感者となる
    ●必要なものはすべて揃う
    ●歴史に名を残す

    この結果を、今のあなたの「思い」で、どこまでのことができるのかの一つの指標としてほしい。
    少しでも強い「思い」を持つように毎日でも自分い言い聞かせ、自分の「思い」をコントロールしよう。

    本章では「思い」について、その特徴を少し構造的に解明していきたいと思う。

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    「思い」の七段階レベル

     「思い」には強い「思い」と弱い「思い」がある。それではこの強い「思い」と弱い「思い」にはどのような違いがあるのか考察してみよう。
      たとえばお辞儀一つ取り上げてみても、100円のお客様へのお辞儀と100万円のお客様へのお辞儀、さらには自分の子供の命を救ってくれた人へのお辞儀はみな違うだろう。たとえ同じ角度で腰を曲げてお辞儀をしたとしても、そのお辞儀からはまったく違った印象を相手は受けるに違いない。それはお辞儀をしている人の「思い」が違うからである。
      この「思い」の段階を大きく七段階に分けることができる。その内容は以下のようになる。

    第一段階 極めて弱い「思い」 ● 誰かにやってほしい 
    ● 何も変わらない
    「思い」があるといっても、この段階では「思い」が低すぎるために、自発的な行動につながらない。自分から行動するのではなく、他人が自分のために行動してくれることを期待しているだけの状態。上司に対して何も提案していないにもかかわらず、どうせわかってくれない上司だからと上司の悪口を言っているのは、まさにこの状態にあるときである。いつまでたっても何も変わることはない。
    第二段階 弱い「思い」 ● 楽にできるなら自分がやってもいい  
    ● 買物ができるレベル
    あらかじめできることがわかっていて、しかもそれが過去の自分の経験からしても簡単にできることが予測される場合に、行動に移るという状態。しかしやってみて簡単にできそうもなければ容易にあきらめてしまう。話がわかる上司で自分のことを理解してくれることがわかっている場合にのみ、上司に対して自分から提案する。
    第三段階 やや弱い「思い」 ● 楽でなくても確実な方法が見つかれば
    ● まわりの人、仲間を変えるレベル
    たとえ面倒なことをしなければならないとしても、あらかじめできることがわかっているような場合に行動に移るという状態。なかなか理解してくれない上司であったとしても、資料を整えてきちんとプレゼンテーションすればわかってくれるというような場合、まずは資料集めに努力する。
    第四段階 やや強い「思い」 ● 確実な方法がなくとも今できることからやる
    ● 一つの仕事を成し遂げるレベル
    どうしたらできるかがわからなくとも、今できることから何とか方法を見つけ出していく状態。
    ただし、それによって自分が何らかの不利益を被るのでは行動に移らない。なかなか理解してくれない上司に対しても、どうしたらよいのか、何が問題かを探りながら、自分に
    とって不利益にならない限り何度も提案していく。
    第五段階 強い「思い」 ● 捨てるものがあってもやる
    ● 一つのプロジェクトを成功させるレベル
    目的の達成のためなら、たとえ自分にとって不都合なことや利益を失うことがあってもやり抜く状態。このレベルの「思い」がなければ、何か新しいことにチャレンジすることはできない。もしも上司が自分の提案を受理してくれるのであれば休みを減らしてもかまわないと言って提案する。
    第六段階 極めて強い「思い」 ● すべてを捨てても、私利私欲を超えて
    ● 業界、会社、組織を変えるレベル
    目的達成のためなら、自分にとってどんなに不利益なことがあったとしてもやり抜いていく状態。このレベルの「思い」を持てばほとんどの目的は達成することができる。もしも上司が自分の提案を受理してくれると言うのであれば、休みも給与も何もいらないと言って提案する。
    第七段階 最強の「思い」 ● 命を賭けても
    ● 社会、国家、歴史を変えるレベル
    自分の命を賭けてもやっていく決意をして行動している状態。あらゆることが可能になる。この段階の「思い」を持つことは並大抵のことではないが、歴史に名を残している人の多くがこのレベルの「思い」を持って行動してきたことは事実だ。
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    「思い」の五ステップ

    「思い」を持つとすぐにそれが実現するかというと、そうではない。「思い」はそれが実現していく過程で、五つのステップに分けて考えることができる。醸成、発揮、伝播、吸引、実現の五つのステップである。


    (1)醸成

    「思い」は自ら醸成しなければないらないものである。「思い」は勝手に自然と湧き起こってくるものではなく、意識的に湧き起こるような努力をする必要がある。

      強い「思い」を持つようになるためには二つのキッカケがある。一つは環境からくるキッカケで、極めて厳しい環境の中でこのままではいけないと「思い」が沸き起こることもある。多くの起業家が厳しい環境から成長していくことができるのは、厳しい環境が強い「思い」を抱かせる要因になっているからだ。

    私自身のことになるが、大学を出てすぐにコンサルタント会社に入社するも、経営の本質を学ぶにはどうしたらよいかを真剣に考えていた。一日目の研修を終えて何も経営のことを教えてもらえなかったことに大いに不満を抱いた。その日、寝ずに考えてあることに気がついた。それは自分が会社に期待をしたから、それが裏切られて不満を覚えたということである。経営は教えてもらうのではなく自分で勉強すればいい。そして、自ら厳しい環境の中で実践から学ぶことが最もよいと思いつき、入社後二日目には辞表を書いたという経験をした。このときは若さの勢いもあったが、今思い起こしてみても、とてもいい(苦しい)体験をするキッカケとなった。
      すべてではないにしても環境は自ら選択して、それによって自分の「思い」を強くしたり、また逆に弱くしたりすることもできる。
      また、自ら厳しい環境を選択しなくても意識的に強い「思い」を持つこともできる。それが二つ目の自らの目的を確認しながら生活していくということである。

      日常生活に支障のない程度の収入があると「思い」は弱くなってしまう。これ以上がんばるのは面倒だ、生活に困っていないのだからまあいいじゃないかなど、このような気持ちに流されないようにするためには、繰り返し繰り返し自分に言い聞かせつづけることである。「思い」を強くするためには、自分が何のためにここにいるのか、自分は何を目指しているのかということを何度も自分の中で確認していかなければならない。

      これを「思いの再確認」という。最も強い「思い」を持つ人々は五分おきにこの「思いの再確認」を行っている。一日のうちに何回自分の目標を確認したかということで、その人の「思い」のレベルを知ることだってできる。一週間に一度とか、一ヶ月に一度というレベルでは何も達成することはできない。一日のうちに何回したかというレベルでなければ「思い」を持っているということはできない。
      昨日よりも今日、今日よりも明日と少しずつできる範囲から「思い」を醸成していくことが大切だ。三日坊主で何も続いたことがないという人は、まず四日続ける努力をすることである。
      これらが意識的に自分の思いを喚起する醸成である。自分の「思い」はどんな状況にあってもさらに強く醸成することができるのである。

     なぜ私たちは「思い」を醸成していかなければならないのかというと、それはそうしないと人間としての本能である安楽を求める欲求に負けてしまうからだ。現実に、何かをやるということは、何をやるにつけても面倒なこと。そして面倒なことはやりたくないというのが人間の本能の一つであり、それは決して取り除くことのできない極めて強い欲求である。気を緩めていると私たちはその欲求に思考のすべて侵され、何もかも投げ捨ててしまいたくなってしまう。だからこそ、「思い」を自らの意志で醸成し続けなければならないのである。

    (2) 発揮

      強い「思い」は不思議な現象をもたらす。オリンピックでどうしても金メダルをとりたいと思った人は、その日から自ら進んで練習をするようになるだろう。また、どうしてもある事業をやりたいと思った人は自分がどのような状況におかれていたとしても、今できることから事業を進めていこうとするに違いない。

    「思い」のレベルは自分の可能性をどの程度発揮するかを決める、強い「思い」は脳を活性化して知恵を出させ、積極的な行動へと駆り立てるだろう。生活に緊張感が生まれ、感覚が鋭敏になり、今まで気づかなかったことに気づいたり、それまで他人事だったことがすべて自分のこととして感じることができるようになる。私たち人間はどのような人であろうともあらゆる可能性がある。その可能性をどこまで発揮できるかは、自分がどのような「思い」を持ってものごとに取り組むかによって決まってしまうものなのである。

     強い「思い」は自己の常識に対して変革を起こし、それまで自分が当たり前と思っていたことにも疑問を持つようになる。普通は誰でも自己の常識の中で生きているが、それはその常識に沿って生きることが楽だからということでしかない。ところが強い「思い」は楽に生きることを拒絶するのである。

      自分の常識の中で理解できないことを否定するのではなく、理解できないことを理解しようとする。以前、若者たちのことを「新人類」と呼んだことがあったが、理解に苦しむ人の行動を一つの言葉で言い表してしまっただけで、理解を放棄しただけのことである。私たちはわからないことを一まとめにして、理解の放棄を安易に行うことによって安心する。そのほうが楽だからだ。しかしこれでは「新人類」のことをわかったことにはならない。本当に「新人類」を理解するためには、積極的に彼らと接し、またさらには彼らと同じ行動をとることも必要かもしれない。そうしてこそ、本当の意味で「新人類」のことが理解できるようになるのである。
    このようなことの結果、他人の話を真剣に聞くようになる。「思い」のない人は他人の話に関心を示さない。「思い」のない状態のときには他人の話に関心を示したところで疲れるだけだからだ。一方、「思い」を持っている人はどんなものごとに対しても強い関心を示すようになる。それは少しでも自分の変革に役立てようとするからである。

      その結果、「思い」を持った人の行動規範は無限に拡大する。長らく連絡をとっていなかった旧友に連絡を入れたり、書店で必要な書籍を手に入れたり、たとえ海外であっても必要な情報があると聞けば、すぐさま何とか都合をつけて飛んでいくようにもなるだろう。

      また、強い「思い」はなかなか成果が出ないことであっても、あきらめずにできることを全力でやり続けることができるようにする。誰でも早く成果を出したいものだが、本気で思うと成果が出るかどうかに関係なくどこまでも努力できるようになるのである。そして努力し続ける限り、いつか必ず成果に結びつくことはいうまでもない。
      さらに、「思い」は時間と空間を無限に拡大する。もちろん誰にとっても一時間という時間は一定だが、その時間の中でどれほどのことを成し遂げられるかは無限大にまで拡大できる。
    私たちはともすると、さも人生の時間が無限であるかのようにまったく無意識に無駄に時間を消化してしまっている。一週間後も一年後もまったく同じ考えで同じことをやっている人がいるかと思えば、一週間で企画書を書き上げ、その後の一年で事業を軌道に乗せてしまう人までいる。また、たとえば毎日ただ新聞を読むのではなく、事業のアイデアを考えようと思って読んでみると、誰でも五分くらいで新しい事業を一つくらい思いつくはずである。必ずしも画期的なものではないかもしれないが、新規事業を考えたいと思ってこうして生活していけば、いつか必ずすばらしい事業を考えつくだろう。それは緊張感によって集中力が高まり、時間を最大限に有効活用するからである。

    それは空間におてもやはり同様のことがいえる。強い「思い」を持つと自分の世界が急に広がってくる。会社と自宅の往復だけの生活から解き放たれ、世界中の情報に目がいくようになり、必要があると感じればどこへでも行くようになるだろう。
      強い「思い」を持つほど行動に無理、無駄がなくなり、すべてが自然になる。無意味な時間がなくなって、すべてが最大効率化する。



    (3)伝播


    「思い」は他人に伝播する。自分と他人が共通の「思い」を持つようになるのである。強い「思い」は他人の心に共鳴し、他人をも同じベクトルの行動に駆り立ててしまう。
     
    別々の夢を持った二人が会ったとする。二人ともそれぞれに夢は持っているが、その夢に対する達成したいという「思い」の強さはまったく違う。このように「思い」のレベルの違う二人が接すると、「思い」の強い人から「思い」の弱い人のほうに「思い」が伝播して、強い「思い」を持った人と同じ行動をするようになることがある。

    当然、この伝播によって、強い「思い」を持った人は他人の時間と空間を活用することにもなる。つまり他人の時間と空間を自分の「思い」の実現のために使うことが可能となり、それらはさらに拡大されることになる。
    自分の「思い」のレベルに応じて相手の能力が発揮されるのである。

    「思い」のない人がどのような手法を講じたとしても、他人に「思い」を伝播することはできない。他人に自分と同じ「思い」を持つように強制したとしてもそれはまったく無駄だ。「思い」は持つことによって伝播されるのであり、どのように伝播させるかは問題ではない。何を伝えるかよりもどのような「思い」を持って接するかということのほうが重要であるからだ。

      心理学ではピグマリオン効果と呼ばれる現象がある。ギリシャ神話で、キプロスの王ピグマリオンが自分でつくった彫刻の美女に恋いこがれてしまい、その姿を見るに見かねた愛の女神アフロディテがその彫刻を実在の人間ガラティアに変身させるというものである。この話にちなみ、こちらが本気で思うと相手がその気になるという現象をピグマリオン効果と呼ぶようになった。

      経営者で自分と同じビジョンを社員が持たないと言って嘆いている人がいるが、その前に自分がそのビジョンを本当に達成したいと思っているかどうかを反省してみる必要がある。どこかでそれが自分の利益のためであったり、部下を言いなりにしようとする気持ちがあれば、それが相手に伝わってしまう。ビジョンを共有化するためには、経営者自身が何よりもそのことを第一に考え、真っ先に向かっていく姿勢を示す必要がある。

      同じように、よく企業の中で人材育成をしなければならないと感じている経営者が、まったく「思い」のない担当者にそれをまかせたとしてもその結果は明らかである。本気で人を育てたいと思ったならば、そういう強い「思い」を持った本人が先頭に立って人材育成をはかる必要がある。

      また近年、金融機関などで新たな企業を支援していかなければならないと言いつつも、現場では誰も本気でそう思って活動していないという現状がある。起業家を育てることよりも自分の身を守ることのほうに「思い」がいっているというのでは、起業家が育つわけがない。伝播においては言葉よりも心の中で思っていることのほうが優先するのである。
      他人が自分と同じ「思い」を持たないときは、自分の「思い」が足りないことを反省する機会である。



    (4) 吸引


      次のステップでは、「思い」のあるところに必要とされる経営資源が吸引されることになる。事業を推進するうえで必要とあれるヒト・モノ・カネ・情報・時間などが「思い」のあるところに集まってしまう。あらゆる経営資源はもちろん自らの行動で集めるほかに、人によって、人を通して集められる。共感した人々がその「思い」の達成のために努力するからである。

      一つの「思い」に共感して集まった集団であることが、企業にとって望ましい条件である。たとえどんなに人が集まっていようが、それぞれが自分の利益のために集まっているというのであれば、人がいないに等しいといわざるをえない。なぜなら、そのような人々は自発的に行動しないばかりか、その人件費は企業を揺るがしかねないほどのコストになってしまうからである。

      人材難の時代に多くの企業が膨大な経費をかけ、週休三日制や高額な給与といった待遇を売り物に人を集めたことがあったが、今そのようにして集めた人材の多くが企業の足を引っ張っているといわれる。企業の中にいる人材が生産価値を持っているものであるか、単なるコストでしかないかは、どのような「思い」を持って集まっているのかによって決まってしまうものであり、どのような能力を持っているかということとは無関係である。たとえどんなに知識、経験、能力を持っていたとしてもそれらを生かすことができるかどうかは、「思い」があるかどうかによって決まるものだからだ。

      また反対に、たとえそれまで能力のない人々が集まったとしても、一つの「思い」に共感して集まった集団であるならば、それぞれが自発的に必要な能力をアッという間に身につけてしまうに違いない。さらにその自発的な行動によって必要な経営資源を次々に集めていくことだろう。

      人材が「人財(価値をもたらす人)」となるか「人在(ただいるだけの人)」となるかは、「思い」に共感して集まったかどうかによるものなのである。

      事業が成功するかどうかということと、経営資源を今どのくらい持っているかということはまったく因果関係のないことなのである。いやそれ以前に、はじめから事業に必要な経営資源をすべて持っているという人などいるはずもない。仮にいたとしても、いずれ必ず何かが足りなくなるだろう。しかし強い「思い」を持てば、どんなときでもたちどころに必要なものを集めてしまうに違いない。

      経営資源は、はじめにあるかどうかは関係のないことで、あとから揃えるものである。起業家には「思い」を持って事業に取り組むことが必要なだけである。


    (5)実現


      そして最後に「思い」は現実化する。始めるときには「できる」という根拠のなかったものでも、あきらめずにやっているといつかできていることに気がつくだろう。「思い」が足りずに自分があきらめたときにのみ、目的は達成されなくなる。たとえ一時的にどんなに窮地に立とうとも、強い「思い」を持って臨めば、いつか必ず道は開ける。「思い」のあるところに必要なものが吸引され続け、いつの日か実現していることだろう。その「いつの日」も「思い」が強ければ強いほど早くなる。

      しかしどれほど強い「思い」を持ったとしても、思ったときにすぐに現実化するわけではなく、時間的な猶予つまりタイム・スパンが必ずある。つまり今思っているレベル、内容に応じて二、三日後に実現することもあれば、半年、一年さらに何年もあとになって実現することもあるということだ。逆にいえば、今の自分の状態は過去に自分が思ったレベルになっているということもできるだろう。
    私たちは過去の自分の思ったところにいるのである。

      そして一方、私たちはこれからの人生を今、決めているともいえる。これまでの人生がどれほど寂しく惨めなものであったとしても、これからも同じような人生であるとは限らない。これからの人生がどうなっていくかは、今私たちがどのような「思い」を持つかによって決まるものであり、自分以外の誰もそれを阻止したりコントロールしたりすることはできない。私たちはこれからの自分の人生を自分の意志で自由に変えることができるのである。

      「思い」の強さによって、どこまでのことができるかはあらかじめ決まっている。強い「思い」を持てばどんなことだって可能になる。私たち人類の歴史はどのような分野においても、不可能を可能にすることによってつくられてきた。またこれからも、人類は新たな挑戦に挑み続ける強い「思い」を持った人々によって、今では考えられないようなことを可能にしていくに違いない。

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    二つの「思い」

    このように「思い」にステップがあると同時に、「思い」は大きく二つに分類することができる。それは「我欲型の思い」と「貢献型の思い」である。

    「我欲型の思い」は自分の私利私欲を満たすための「思い」であり、この「思い」を強く持ってしまうと、他人を裏切ったり社会に迷惑をかけたりすることにもつながる。偽物商品の販売による被害や金融機関をはじめとした企業の不祥事などはこの「我欲型の思い」によって起きている。

      誰でも我欲は持っているものだが、それを「思い」のもととして行動することは、人間社会そのものを否定することになってしまう。私たちすべてがこの「我欲型の思い」によって行動したとき、それはまさに動物社会と何ら変わりないものになってしまうだろう。
    「我欲型の思い」でも一時的に目的が達成されることはあるかもしれないが、私たちが人間である限り、それはいつか必ず駆逐されるべきものである。

    私たちが持つべきもう一つの「思い」、それが「貢献型の思い」である。他に貢献することを目的としたこの「思い」こそ、人間が人間らしく生きていく社会にとって必要なものである。社会に貢献する活動だけが企業の活動であるべきで、その報酬として売上が立つものでなければならない。

      そう考えてみると、これまでの単なる売上高や収益性といった企業の評価には大きな問題があるといわざるをえない。そこでは我欲型の企業と貢献型の企業が混同されてしまっているからだ。これからは売上高の大きい企業が何でも評価されるのではなく、社会に貢献しているかどうかによって評価していく必要があるのではないだろうか。

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