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官僚を巻き込んだ企業の不祥事が毎日のようにマスコミをにぎわしている。なぜこうも世の中で不祥事が絶えないのであろうか。
その根本的な理由は、企業の活動目的は利益を出すことと思っている人々がいることである。この利益追求第一主義が、企業に、そして社会に大きな災いをもたらしている。
企業が利益を優先すれば、その利益をもたらしてくれる顧客を優先するようになる。したがって、接待だ、ときには賄賂だというように、本来やるべき仕事とはほど遠い行動に走る。確かにそれによって目先の利益を生むことはできるかもしれないが、そのために膨大な時間と労力が注ぎ込まれ、本来やるべき企業としての活動、つまり社会的価値の創造が遅れることになるのである。
しかしながら、そのことに気がつくのは売上げが落ちたときだ。そのとき初めて時代変化や、環境の変化を知ってびっくりするだろう。グローバルスタンダードからかけ離れた実態の中であえいでいる我が国の金融機関などは、まさにそのよい例だ。利益が出ていることで、環境変化に対して関心を持たなくなってしまった結果である。
また、利益のみの追求は必然的にバブル経済に向かう。営業利益だろうが、営業外利益だろうが、どちらにしても利益が出れば経常利益は膨らむ。しかしここが落とし穴。営業外利益の増大は、本質的な企業力によるものではない。営業外利益だろうが何だろうが利益を生むことが経営だ、という経営者もいるが、それは経営の本質から外れた見方にすぎない。
バブル経済時代は、楽に営業外利益を出すことができた。土地でも株でも投資すれば、ほぼ確実に大きな利益を得ることができたのである。そして、みんなが経済の実態とはかけ離れたマネーゲームに走る。しかし、その結果、企業から社会的価値創造の意欲は失われてしまった。わずかな利益のためにリスクを負って新たな事業に取り組んだり、顧客に手間暇かけたりすることは、賢い経営ではないように感じた経営者が多かった。
そうなると現状を改善する意欲は企業の中から消え失せてしまう。楽に利益が出せるのだから、何も改善する必要がないのだ。
もちろんそこで働く社員も何も考えようとしなくなる。今やっていること、言われたことさえ、ミスのないようにうまくやれれば報酬は増えていくからである。
こうして企業はその創造的活力を失ってしまう。企業は利益を追求するあまり、その単純な発想によって本質的な活力を失い、知らぬ間に崩壊の道を突き進んでいく。
最大のリスクとは目先の利益に走ることなのである。 |