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自立型姿勢
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相互支援組織の作り方
第2回
人間と仕事
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■面白い仕事と面白くない仕事

 以前、私は新宿に事務所を構えていたことがあるが、そこから一○○メートルほど離れたところに駐車場があった。そこにはいつでも元気で明るい、六○歳を過ぎたばかりの管理人のおじさんが働いていた。毎日のように顔を合わせていたが、いつもおじさんは明るい笑顔で挨拶をしてくれた。以前は大手企業で働いていたそうだが定年になって退社し、 そして駐車場の管理人の仕事を始めたということだった。
  ある雨の日、駐車場に車を止めたとき、私は傘を忘れたことに気づいた。車の中でどうしたものかと考えていたところヘ、スタスタと管理人のおじさんが近づいてきて、「傘を忘れたんなら、これ持っていきなよ」と、自分がさしている傘を私にさしだしてくれた。
「でも、それっておじさんの傘じゃないの?今日の帰りは遅くなるから、おじさんがいる時間に返せないよ」
「いいんだよ。私のことはどうでもいいから持っていきなよ」
「じやあ、後ですぐに返しに来るから少しの間だけ貸してください」
管理人のおじさんはいつもこんな調子で、自分のことよりも他人のことばかり考えてくれるような人だった。
  その駐車場は時間貸しもしていたが、場所柄もあってか、いつも満車の状態だった。そんなとき、管理人のおじさんは駐車しようとして入ろうとする車の運転手に、いかにも申し訳なさそうに謝っている姿をよく見かけた。そして必ず、道路に出てその車が見えなくなるまで少し薄くなった自髪の頭を深々と下げている。
  そんなある日、寂しそうな顔をして、
「福島さん、実は今週いっぱいでこの仕事を辞めることになりました。妻が胸を悪くしたので、空気のきれいなところでのんびり暮らすことにしたんですよ。いろいろお世話になりました」と言って、頭を下げた。
「え、それは残念だなあ。でも、いろいろお世話になったのは、こっちのほうですよ」
  私は何ともいえぬ叙しさを覚えた。
  今日が最後というその日、私はちょっとした感謝の気持ちで手みやげをおじさんに持っていくことにした。駐車場に着くと、私はびっくりするような光景を目にした。管埋人室は駐車場の端っこにあって、やっと二人くらいが入れるくらいのプレハブ。その管埋人室は花束がいっぱいで中がまるで見えない。さらに置ききれなくなった手みやげがドアの外に高く積まれてあった。
「おじさん、じゃまになるかもしれないけど、これもここに積んどくよ」
「いやあ、どうもすみません。何の気遣いもいらないのに申し訳ありませんね。私はこの仕事をして毎日毎日がとても楽しくて、とっても幸せでしたよ」
「おじさんはどんな仕事をしたって、みんなに喜んでもらえる人なんだよ」
  つまらない仕事なんかない。その仕事にかかわる人の姿勢が仕事を面白くしたり、つまらなくしたりしているにすぎない。私はそんなことを管理人のおじさんから学んだ。
  仕事が面白いとか、仕事がつまらないというのは、その人が面白くなるように仕事に取り組んでいるか、つまらなくなるよう取り組んでいるかで決まるものである。楽しくやろうと思えば何でも楽しくなってくるし、イヤイヤやれば何でもイヤになってくる。
  私たちは仕事の価値をそれにかかわろうとする姿勢によってつくっている。つまらない仕事だと決めつければ、その瞬間にどのような仕事でもつまらないものとなってしまう。つまらない仕事だと思い込んで取り組んでいると、必然的に仕事の生産性は落ちてくる。つまり、その仕事を通して社会や他人に価値・感動を与えることができなくなるのである。仕事にかかわる前に、私たちはすでにその仕事の価値を決めているといえるのではないか。
このことは、今どんな仕事にかかわっていたとしても同じである。
  一流大学を出たのに、毎日がコピー取りの仕事ばかりと言って嘆いている若手社員の声を聞くことがある。こんなことをするために大学を出たんじやないと。でも、よく考えてみてほしい。コピー取りの仕事ってそれほどまでにつまらない仕事なのだろうか。
  私はあるベンチャー企業の女性スタッフのこんな声を聞いたことがある。その人は仕事のほとんどがいわゆる雑務ばかりであった。電話応対に始まり、銀行へ行ったり、コピーをとったり、社内の清掃をしたりと結構忙しい。にもかかわらず、彼女はとっても毎日楽しく仕事ができるという。
「私の仕事はいわば雑用ですよね。みんな嫌がることかもしれません。でもみんなが嫌がることをするってとても気分がいいんですよ。自分が他の人の役に立っているって感じるじゃないですか。そのためにも、一つひとつの仕事の意味を考えるようにしています。この仕事をするとだれが喜んでくれるかを考えるんです。もちろん相手は声に出して喜んでくれるばかりとは限りません。でも、それはかっこ悪いと思っているからじゃないかと思うんです。心の中ではきっと喜んでくれているはずなんですから」
  いまかかわっている仕事の面白さは、自分の仕事に取り組む姿勢によって決まるのである。
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■上司には何の権限もない

 いつぞや弊社のスタッフの一人が、私に一つの新規事業の提案を持ってきた。その提案は将来的にぜひとも取り組むべき企画であると、すぐその場で私も直感した。
「この企画はいつかやりたいものだね。だけど今のうちの会社ではこれだけの投資はできない。将来もっと資金的に余裕ができてからやろう」
「そうですか。私もちょっと資金がかかりすぎていることが気になっていましたが、もう一度考え直してみます」
「そうしたほうがいいね」
  その後しばらくして、彼はまた同じ企画を私のところに持ち込んできた。
「社長!ちょっとこれを見てください。なんとか以前出した計算の10分の1くらいの投資でもできそうですよ」
  彼は事業のスタートを三段階に分けてわずかな投資で少しの実績をつくり、そこから得た利益で次の投資を行うといった計画を考えてきた。
「いや残念だが、今はこれだけの金額の投資もできない」
「そうですか」
「今は一銭も出せない。このことはわかっておいてくれ」
「わかりました」
  それからまたしばらくして、
「社長!営業のついでにこの企画を相談していたところ、これをやるならA社が先に前金を渡してくれるということになりました。実行は三力月後からということで、その前金を投資にまわせば十分に間に合いますよ」
「本当に前金で入るの?」
「はい」
「よし、それならすぐに始めよう!」
  彼は、社長には(つまり、それは私のことだが)何も権限がないと言っている。社長がノーと言ったことを自分が解決すればいいだけだ、自分の企画が通らないのはノーと言った理由を自分が解決していないだけだと言う。そのことを聞いたとき、私は一つだけ反論した。
「しかし、いつOKを出すのかは社長である私に決定権があるんじゃない?」
「いえ、社長にはその決定権もありません。社長がいつ0Kを出すのかは、どれだけ早く自分が課題を解決したかで決まりますから」
  すべては自分で決めている。会社の中で企画が通らないのは、上司が指摘した問題点を解決する努力を自分がしていないからだ。上司がすべてを決めてしまうというのは錯覚にすぎない。想定しうるすべての問題をあらかじめ解決しておけば、上司が企画を断わる理由はなくなるはずだ。上司の頭が固いといくら不満を言ったところで何の解決にもならない。上司に問題点を指摘されたときは、解決すべき問題点を指摘していただいたと思えばいい。どんな問題があったとしても努力をし続ければ、必ずいつかは道が開ける。そして、それは企画の立案者である自分自身でしか開くことはできないものである。
  さらに、このように考えると、いかなる他人も自分のことを決める権限は持っていないことになる。つまり、すべては自分の努力で道を開くことができるということだ。環境に左右されるのではなく、与えられた環境を受け入れ、できるところから道を切り開いていく。自分の思い通りにならないのは、思い通りになるまで努力をしていないだけなのである。
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■目的を持つとは、いかなる困難をも受け入れること

 私が講演で、”何でも、あなたが今やっていることはあなたが選択してやっていることなのだから、楽しいはずでしょう”と言うと、必ずと言っていいほど反論される。
「そうは言うけどサラリーマンは好きでやっているんじやない、家族を養わなければならないからやっているだけだ」
「では、あなたは家族を養いたいのですよね」
「そりや、家族だからね。当然でしょう」
「本当ですね?」
「もちろん本当だよ」
「では、そのためならどんな努力だってできるじやないですか。できないというのなら、本当は家族は養いたくないということになりませんか」
また、「アントレプレナー大学」で創業支援講座などを開くといろいろな相談事が持ちかけられてくる。
「私は今、父親の家業を継いでいるのですが、実は他にやりたいことがあるんです」
  こんな質問に対しては、ちょっと厳しく、
「やりたいことをやればいいんじやないですか」
  と言うことにしている。
「しかし、それができないから悩んでいるんですよ」
  と今度は言い返される。
「本当はそれほどやりたくないから、家業を継いでいるのではないですか。だって、あなたは今それを選択しているのですから」
「本当は家業を継ぎたくはないんです。しかし両親のことを思うと,…」
「つまり、あなたのやりたいことは両親のことを大切にしたいということが一番なのではないですか。だからこそ家業を継いでいる。本当に両親のことを大切にしたければ、どんな苦労だってできるはずでしょう。そういう意味では、まだ両親のことも大切にしたいと本気で思っているとは言えない。だから、それ以上に自分がやりたいと思っている他のことは、ほんのちょっとやりたいと思っているというレベルなのではないですか。その程度の気持ちではまず、うまくいくとは思えませんが」
自分の気持ちが宙ぶらりんの中で、何かをしようと思っていてもうまくはいかない。このような意識は、どんなことにも完壁な解答を求める人に多く見られる傾向である。あれでもない、これでもないと自分がやることを次々に変えては納得できないままに時間ばかりが過ぎてしまうだろう。確かに人生を賭けてできる仕事が見つかったという人は幸せかもしれない。
  オリンピックで金メダルを取る夢を持った選手は、毎日休まず厳しいトレーニングをする決意をしているはずだ。そうではなく、金メダルの夢を持っているというものの、家の中でごろごろしていたのでは、その実現の可能性などあるはずがない。本当に金メダルを取りたいのであれば、自ら進んでトレーニングを始めるだろう。本気になればなるほど、トレーニングはやりたいものになる。なぜなら金メダルを取りたいのだから。
  何かを本心からしたいと望むならば、人はどんな努力でもできるはずである。人はいつの間にか、何かをしたいと望んでいたことを実際に始めると、”しなければならない”というふうに置き換えて、苦しんでしまうことが多い。それは、自分で自分の首を絞めてしまうのと同じではないだろうか。このようになるのは、本来の目的を見失ってしまうからである。確かに、仕事を始めれば目の前にたくさんのやるべき作業が待っている。その作業をしているうちに、いつの間に、作業そのものをこなしていくことが目的化してしまうのだ。本来の目的を達成するための作業から、こなしていくことを目的とする作業ヘ、手段の目的化が意識の中で起きてしまう。
  夢を抱いて入社した企業であるにもかかわらず、そこにいることを目的化してしまい、いつの間にか不満に満ちてしまっている人などは、まさにこの典型的な例である。入社前には社会人になってからのことをいろいろと考え、多少の不安とともに何かドキドキするものを感じていた人は多いだろう。多くの夢に満ち、自分の将来をいかに輝かせていくかなど、多くの人は夢と希望に満ちて人社式を迎えたに違いない。しかしそれも数年で会社や上司への不満に満ちた生活に変化してしまう。与えられた仕事をこなしていくことが目的となり、その先に出世があると思いこんでしまう。評価されることにすべての関心が集まって、始めに抱いていた夢や希望は忘れられてしまうのだ。
  手段の目的化は人に苦痛を与えることにしかならない。目的を持つということは、いかなる困難でも受け入れることが前提なのである。
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■何のために働くのか

 それでは、私たちはいったい何のために働いているのだろうか。これほどありきたりの質問はないかもしれないが。
  私がコンサルティングをさせていただいている社員百十数名の会社で、このことを全社員に聞いてみたことがある。アンケートで答えてもらったが、その答えは人によって大きな差があった。その答えをもとに一人ひとりについて社長に尋ねてみた。
「社長、Aさんはいつもつまらなそうに仕事をしていませんか」
「そう感じます。ちょっと気になっている人です」
「Bさんはまあまあがんばって仕事をしているみたいですね」
「彼女はうちの会社でもがんばっているほうです」
「Cさんはすごいでしょう。きっと社長にとって、なくてはならないような人ではないですか」
「なぜ、そんなことまでわかるんですか?」
「だって、そう書いてありますよ。何のために働くのかについて、Aさんは”自分の生活のため”、Bさんは”自分の能力を発揮するため”、Cさんは”社長を男にするため”って」
  私たちが働く目的は大きく二つある。一つは自分の生活を維待するための収入を得るという目的で、もう一つは他人のため、社会のために役立つという目的である。
  前者は自分さえよければいいという発想となり、他人がどうであるかは開係のない話になる。社会的な問題が発生したとしても他人事であり、大切なのは自分に火の粉が飛んでこないこと。それを防ぐために膨大な労力を注ぐ。自分の会社が多少社会的問題を起こしても、それはトップの責任で、自分とは関係のない話。自分は決められたことをきちんとこなして、ちゃんと収入を得られれば文句はない、といった生き方につながる。会社がやっている事業が社会的意義があるかないかは関係ない。それどころか仕事はできればやりたくないもので、いかに楽して要領よくやるか、自分の努力以上に評価されるかといったことが考えるテーマとなってしまうだろう。うまく結果だけを出し、要領よく出世した同期をねたみ、足の引っ張り合いが社内で起き始める。
  こういう会社ではお互いが競争関係になり、支援関係を築くことができなくなる。そうなると職場間、部門間で情報が隔離し、社内の経営資源をお互いが有効活用できなくなってしまう。企業としてのスケールメリットはなくなり、社員の意欲のなさと同時に企業の衰退が始まる。
  一方後者では、仕事とは社会に貢献するためのもので、会社とは社会的意義をしっかりと待ったビジョンに共感した人々の集まりになる。そこでは大変な仕事、難しい仕事ほど自分の力を発揮し、役に立つチャンスと映るだろう。問題は改善、向上の機会となり、お互いが協力してビジョンの達成に向かうことになる。努力すればするだけ他人の役に立つことができるわけだから、努力そのものに価値を見い出すことができる。そこで働く個人は、そのカを惜しみなく提供するから、企業は黙っていたとしても結果として成長していく。そうなれば自然と社員の収入も増えていく。
  私たちはこの二つの目的のどちらかで仕事をする。しかし、この二つの目的を同時に満たすには他人のため、社会のために仕事をするしかない。社会に役立つ仕事を通して私たちは生きている価値を実感し、仕事を楽しいものにすることができ、結果として生活を維持することができるのである。
  何のために働くのか、それは他人のため社会のために働くことしかないのである。
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